2009-03-15

ブルートレイン引退

昨日の朝着の列車を最後に、東京-九州間のブルートレインは全て引退したらしい。
最後に乗ったのはいつだったんだろう・・・ハッキリした記憶は残って無いが、
初めて乗ったのは、かれこれ45年くらい前の列車の旅全盛の頃。

父親の転勤で、幼稚園・小学校時代を山口県の下関で過ごし、
実家の神奈川県に帰るには、ブルートレインが1番早くて便利・・・
とは言え、片道15時間の旅。
当時の東京発のブルートレインは、
  西鹿児島行き 「はやぶさ」「富士」
  長崎・佐世保行き 「さくら」
  博多行き 「あさかぜ」
  出雲市行き 「出雲」
  等々
今からは想像もできないが、山陽本線が一部電化されてなくて、蒸気機関車が引いていた区間も。
その上、本州側は直流電源で、九州側は交流電源なので、
関門トンネル両端の下関と門司の間だけを引く、交直両用の専用電気機関車に取り替える。
だから、全てのブルートレインは、下関で5分くらい停車していた。

多分、年に2往復くらいはしてただろうか・・・
今で言う、「鉄ちゃん」の走りで、就学前から時刻表を読む日々があったし、
幼心に、徳山駅前の石油コンビナートの煙突の炎が夕闇に輝いていたのを覚えている。

1964年に東海道新幹線が開通し、新大阪-下関間には、昼間の特急「しおじ」が誕生。
その頃には、全線電化されてはいたが、いわゆる「こだま型」特急電車は、
UpDownのある一部区間では、電気機関車が連結されてた記憶がある。
この東海道新幹線の開通で、丸一晩15時間の旅が、
朝乗ればその日の内に着く11時間に短縮された。

その後、新幹線も岡山まで延伸され、徐々に時間は短縮されたが、
丸1日座り続けで、途中で荷物を持って、在来線ホームと新幹線ホームの乗り継ぎをするより、
一晩乗り換え無しで寝て行けるブルートレインをうちの親は好んだようで、
「しおじ」+新幹線の記憶はあまり残ってない。

よく考えると、今のSydneyから日本への旅と良く似ている。
距離こそ1000kmと9000kmの差はあるが、東南アジア経由で片道約15時間。
乗り物は、時速100キロの列車から時速900キロの飛行機に変わったけど、
その分、遠くの地に行ってしまった。。。

半世紀近く前に、両親が15時間かけて実家に帰っていたのを、
今息子が15時間かけて母国に帰っている。  

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