2011-01-17

あれから16年

夢の中で大きく揺れて目が覚めて・・・最初に思った事はベッドの横のタンスが倒れてくる。。。と身構えた。
目を開けた時はまだ大きく揺れていて、天井の豆球は点いていたのに数秒後に消えた。
結局、何も倒れる物も無く。。。

15階建てマンションのちょうど真ん中の8階で、他の階には無い梁も入っていて、構造的には一番強かったのか、食器棚から落ちたグラスが何個か割れ、壁紙が何ヶ所かで切れて、テレビとピアノが数cm動いた程度。
電気が無いと掃除機で破片を吸う事もできず、暗闇の中でもガラスを踏まないようにスリッパは災害時の必需品!!

知人に電話するには、少し早過ぎる午前6時前。
停電下での情報集めは電池式のラジオだけ・・・大阪の放送局からの電波では、すぐに神戸の情報が流れず、停電になってるとか、電線が切れてるとか、火事が起きてるとか。。。そんな程度

明るくなってきてから、徐々に本当の被害状況が報道されるようになり、これは自分の会社もヤバイかもしれないと思い。。。
3連休明けの火曜日の朝・・・火曜日から金曜日まで会社の研修。
研修が終わって金曜の晩には出張でシドニーに飛ぶ事になっていたが、自主的に研修不参加を決断。
自宅から東京支店に電話をかけ、「神戸で今朝かなり大きな地震があったので、ひょっとするとコンピュータシステムの稼動が遅れるかも知れないということを全国に流して欲しい」と頼んだのが、16年前の今日の仕事の全て。

公共交通機関の運行状況は全く分からず、普通ならもう完全に遅刻だけど10時になって自分の車で三宮へ。
中心部に近付けば近付くほど、夢であって欲しいと思える光景が。
倒壊したビルに切られた電線が火花を飛ばしていたり、折れたガス管の先から炎が出ていたり・・・正に地獄絵。
つい3日前まで何ごとも無く歩けた道路なのに。。。

会社のビルは1階部分がきれいに潰れてまっすぐ建っているものの、2階が路面に来ているので、いわゆる全壊状態。
中に入れる事もできず、翌日からは姫路での緊急オフィス作りへ。


16年前の社会がどんなだったかと言えば、
今となってはとても信じられないけれど、インターネットはもちろん携帯電話の無い時代。
NTTドコモが販売していたけれど、まだまだ庶民の持つ時代ではなく、技術的にもアナログからデジタルへの移行期。
メールは社内で限られた人々の間で使われ始めた程度。


今日は、
オーストラリアでは洪水被害に遭ったブリスベンがビジネスの再開を宣言し、逆に南のVIC州では200年ぶりの豪雨で洪水の危機に面しているという報道も。
日本では中部地方も大雪で高速道路の通行止めやトヨタ自動車の工場の操業停止まで。。。
実は、阪神大震災のちょうど1年前の1994年1月17日にアメリカのロサンゼルスでも大地震が起きている・・・この日は世界的に大災害の起きる日なのか?!


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
応援クリックでランキング・アップにご協力を!

0 件のコメント:

コメントを投稿